STORY

変わっていく街・サンフランシスコで、
ジミーが変わらずに心に持ち続ける大切なもの。
それは、家族との記憶が宿る
たったひとつの居場所と、たったひとりの親友。

サンフランシスコで生まれ育ったジミー(ジミー・フェイルズ)は、祖父が建て、かつて家族と暮らした思い出の宿るヴィクトリアン様式の美しい家を愛していた。変わりゆく街の中にあって、地区の景観とともに観光名所になっていたその家は、ある日現在の家主が手放すことになり売りに出される。
再びこの家を手に入れたいと願い奔走するジミーは、叔母に預けていた家具を取り戻し、いまはあまり良い関係にあるとは言えない父を訪ねて思いを語る。
そんなジミーの切実な思いを、友人モント(ジョナサン・メジャース)は、いつも静かに支えていた。
いまや都市開発・産業発展によって、“最もお金のかかる街”となったサンフランシスコで、彼は失くしたものを、自分の心の在りどころであるこの家を取り戻すことができるのだろうか。

サンフランシスコの歴史

サンフランシスコは、19世紀のゴールドラッシュで大きな発展を遂げた、アメリカ西海岸を代表する大都市。坂道を走る路面電車(1873年に開通)は、ゴールデン・ゲート・ブリッジとともに、この街の印象的な風景として誰もが思い描くイメージだ。古くから貿易も盛んで、多くの移民も受け入れてきたため様々な文化が混ざりあいエリアが形成され、現在もこの街は、アートやファッションの発信地として世界中の人々を魅了し続けている。
そんな街の景観の中でも、ひときわ歴史を感じさせるのが、1860年から1900年初頭に市内の各所に建てられた優雅なヴィクトリアン・ハウスだ。フェイルズが実際に暮らしていたヴィクトリアン・ハウスがあるフィルモア地区は、もともと日系人たちがサウスパークから移り住んで発展させた街で、揺るぎない日系人コミュニティを確立していた。しかし1941年のパール・ハーバーの攻撃によりコミュニティをけん引してきたリーダーたちが次々と逮捕され、翌42年には日系人の収容所への強制移住が始まった。その後は、黒人たちが多く住むようになったが、やがて彼らも立ち退いていった。──現在のサンフランシスコは、シリコンバレーも近いことから、住民の平均収入値も高く、アメリカでは三番目にビリオネアが多く住む街になっているという。家賃や住宅販売価格は跳ね上がる一方で、ハウスボートやワゴン車で暮らす人も多く、ホームレスも増加。現在、市内に暮らす人々の中でも、家賃の高騰から引っ越しを考えることを余儀なくされている人も多いといい、本作で描かれている街への愛情や愛着は、この街の切ない実情を表している。

ヴィクトリアン・ハウス

映画で使われたヴィクトリアン・ハウスの現オーナーは元水化学者のジョン・テイラー氏(83歳)。1889年に建てられた家を1960年後半に一目見て気に入り、数年後に友人と一緒に購入した。友人の金策で一度売りに出したが、1970年にサンフランシスコに戻ると、また家が売り出されていたために、買い戻したのだという。かつては下宿屋や更生施設としても使われたというこの家のキッチンや屋根を入れ替え、魔女の帽子のような尖塔も交換した。そして、オルガンのためにアルコーブを苦心して作り、ダイニングルームの天井にフレスコ画を発注し、以前の居住者に捧げたライブラリーも作った。これは彼のライフワークの一つだという。彼は、ジミー役が映画の中で家の修理をするシーンは自身が70年代に行ったヴィクトリアン調への回帰を思い出させられたと語る。自分がいなくなってしまえば、未来のオーナーは中のものをすべて取り払い、個性のない「無菌」の家にしてしまうだろうと予言しているが、「私がいなくなったら、全然気にしないよ!」と笑う。彼は、映画のロケハンで苦労して見つけたこの家での撮影を快く受け容れてくれ、フェイルズのこともかわいがったという。彼には、家に思いを寄せるフェイルズの気持ちが、誰よりも分かったに違いない。