INTERVIEW

INTERVIEW WITH JOE TALBOT

僕の母親はサンフランシスコの5代目で、父親は1960年代にやってきた。僕は、サンフランシスコの誇り高き歴史を感じながら、音楽や文化や映画に触れて育ってきた。僕自身サンフランシスコからほとんど出たことがないから、外の世界はほとんど知らない。今僕とジミーが最も恐れているのは、今後サンフランシスコで僕たちのような友情が生まれるか? ということ。僕たちにとって、街の人との交流は何よりも大切だけど、そういう体験ができなくなるのではと心配している。この街は、様々な人生を歩んできた人と出会える街だし、この街を心底愛している人はたくさんいる。でも、この映画の編集を終えてサンフランシスコに戻ってきた時、知らない街に来たような感覚に陥った。この美しい街を作り上げてきた人々が暮らせないなら、何の意味があるのだろう? 最近はさらに多くの人が街を去っている。変わらず美しい建物も、どんどん取り壊されつつある。ロケハン中に、いい家を見つけても取り壊しが決まっていて、撮影ができないことが多かった。あまりにも動きが早すぎる。生まれ育った街じゃなくても、その街を愛することはできるはず。残念だけど、今サンフランシスコで起きている現象は世界各地で見られる。映画を作り始めた時は、あまりにもパーソナルな物語だから気づかなかったけど、この街以外の人と話せば話すほど、共通の問題だというのが分かってくるんだ。あまりにも大きくて複雑な問題で、考えただけでも怖くなる。こういう映画を作る以外、何をすればいいのか分からない。僕らは、急激に変化していく街の様子を映像に留めておくしかないんだ。

INTERVIEW WITH JIMMIE FAILS

この映画の撮影中は、演技に入り込んでしまい、撮影後、隅に隠れて泣いたシーンもある。でもいろんな意味で成長することができたと思う。出演者やスタッフが、全員このプロジェクトと僕の体験をサポートしてくれていると分かっていたから、安心して演じることができた。自分の脆さをためらいなく出せたんだ。それに僕にとっては全てリアルだから、演技をしているという感覚はなかった。大変だったけど楽しめたよ。自己発見という意味でもいい経験になったね。
プレミア上映では、作品に関わった仲間全員が登壇したんだ。70人はいたね。彼らの功績は大きいよ。人々の反応を見て、僕も温かい気持ちになった。プレミア上映の際、ある年配の女性が泣きながら、作品がいかに美しかったかを語ってくれたんだ。泣きすぎて、写真も撮れないくらいで、僕ももらい泣きしてしまった。「繊細な人間でいてくれてありがとう」と多くの人に言われた。それ以上の褒め言葉はないよね。そういう言葉を聞きたいから、僕たちアーティストは自らを犠牲にするんだ。それがこの作品を作って、最も大きな喜びを感じた瞬間だった。

僕たちは昔からサンフランシスコのノスタルジックな雰囲気と、古い建築物に魅了されてきた。恋に落ちる感覚だ。サンフランシスコはこの映画の登場人物の一人でもある。サンフランシスコがいかに特別かを自らの手でカメラに収めたいと思った。だから今までとは違う見せ方をするように努めたんだ。後半のバスの中のシーンで、「(この街を)愛していないなら憎む権利はない」(字幕:愛と憎しみは一体だ)という台詞が出たのは、普通に会話をしていた時だと思う。このシーンは当初は少し違っていて、リハーサルか何かの時にあの台詞を思いついて、ガツンとやられたのを覚えている。この街に暮らす人は、みんなサンフランシスコのことを誇りに思っているんだ。サンフランシスコのためなら何でもするよ。