PRODUCTION NOTES

家は心の拠り所

サンフランシスコで生まれ育ったジミー・フェイルズが6歳まで住んでいたフィルモア地区には、アフリカ系アメリカ人と移民の歴史が息づいており、フェイルズが父親、親族たちと暮らした家は、子供時代の拠りどころであり、何の不安も感じない笑いと愛に溢れた場所として心の支えとなっていた。しかし家がなくなりコミュニティを立ち退かされたフェイルズと父親は、公営住宅やシェルター(避難施設)で暮らして街中をさまよった。そんな中でもフェイルズは一度も子供時代を過ごした家を忘れたことがなく、むしろ思春期の悩み、安定した生活への憧れと格闘しながら、フィルモア地区の家が持っていたパワーと頼もしさを強く求めるようになった。

親友2人の物語

10代のはじめにフェイルズはジョー・タルボットに出会う。サンフランシスコの第5世代の彼とは、音楽好きという共通点があり2人で街をぶらつき、自分たちが育った大好きで一度も離れたいと思ったことがない街での生活について語り明かす親友になった。高校時代、フェイルズが、自分がかつて住んでいた家のことを話し始め、タルボットは、その苦労話に自分が書いている最中の典型的なサンフランシスコの物語との共通点を見出した。そして、自分たちの人生を語る会話を映画にすることを決めた。サンフランシスコの歴史と数十年に亘って語り継がれてきた変遷と離間の物語、数世代にも亘る長い物語が次第に形になり始めた。「ジミーの実体験と街に住む住人の夢を混ぜたようなハイブリッドなものを作りたかったんだ。街の片隅に追いやられた男が、自分の記憶にしか残らない家に巡礼の旅をするというオデュッセイア(長年旅をして故郷の町に帰るオデュッセウスの物語)のような、ちょっとした冒険話にしたかった。」(タルボット)

A24×プランBとの出会い

タルボットとフェイルズが作ったトレーラーと(クラウドファンディングの)キックスターターでの募集が、映画作りを後押しした。友人2人で始めた計画は、トレーラーを見たり、物語を気に入ってくれたベイエリアの仲間との強い絆のチームへと成長した。「チームのメンバーはベイエリアで僕らが創作活動を始めて、世に出ようとしてもがいていた頃の仲間たちで、この物語に共感し、映画として成立させるのを手伝いたいと言ってくれた。映画化まで何年かの大変な時期を経て、僕らは家族になった」(タルボット)。また、この“家族”のキーマンはプロデューサーのカリア・ニールとサン・クエンティン州立刑務所で映画製作を教えているロブ・リチャートで、彼は最終的には共同脚本家の1人になった。「皆、何の保証もないのにプロジェクトに加わり、僅かな可能性のなか、製作にこぎつけるまでに多くの力を注いでくれた。その貢献は、映画の隅々に織り込まれている。」まずは、長編映画製作の経験を積むためにと製作した短編『American Paradise』が、2017年サンダンス映画祭でプレミア上映され、そこでプランBのプロデューサーのクリスティーナ・オーの目に止まり、彼らがA24に声をかけて一緒に長編作品を作ることになった。「『ムーンライト』の監督バリー・ジェンキンスとは面識があり、彼がプランBと組んで成功しているのを見て、憧れていたんだ。組む相手としてプランB以外は考えられない。彼らと一緒に仕事ができて本当にラッキーだと思う」(タルボット)

ジミーとモント

主人公のジミー役はフェイルズで決まっていたが、モント役にふさわしい俳優を見つけることが、課題だった。結果、ジョナサン・メジャースがモント役に起用されたが、すでにキャリアのあったメジャースにとっては、それまで見たことも接したこともない世界や文化だったので、彼はこのチームや役に惹かれたと言う。「僕には新鮮に思えた。追いやられた文化やコミュニティの人たちの話だったから。ジミーとモントのやっていることは、典型的な黒人の若者がやっていることとは違っていた。この映画で友情を感じなかったら、物語は成立しないし、何もかも台無しだ。生身の人間の生き様もドラマもなくて、単に政府の官僚主義と再建プロジェクト下での社会環境の話になってしまう」(メジャース)。映画の核をなす友情が2人の俳優にとって最も重要なことだったが、正式にキャストに決まる前からサンフランシスコに来たメジャースは、タルボットとフェイルズと街を歩き、キャラクターについての議論や彼らの希望や夢についての話し合いに加わった。撮影が始まるとフェイルズは、映画の中と同じようにメジャースのホテルの部屋で暮らし始めた。「アートは人生の模倣だ。僕らは何度も脚本を隅から隅までリハーサルして、演じ方を見つけた。僕はジミーに自分の演技を通して真実を伝えろとけしかけた。“気まずいと思ったのなら、それは君がちゃんとやっているからなんだ”と言った。“たとえ何があっても、僕は一緒にいる”ってね」(メジャース)。お陰で固い友情が結ばれ、映画の中でもジミーとモントの関係は明らかにリアルで、画面に相性の良さがにじみ出た。「バディ・ムービーは難しい。2人が本当の友達のように感じるように見せなきゃならないから。これはジミーの初めての映画だったが、ジョナサンは僕らが望んでいたような形で彼を映画に溶け込ませてくれた。彼らは兄弟のような親友になったんだ」(タルボット)

サンフランシスコのキャストたち

スタッフは映画の脇役に生粋のベイエリア在住の人間を出演させ、地元住民に小さな役柄を割り当てた。「僕らは、脇役から実生活からにじみ出るサンフランシスコ人の気性が出ているかを確認することに時間を費やした」(タルボット)。ハンターズポイントの通りをたむろする若者役に友人やアーティスト仲間、ベイエリアのラッパーなど、ほぼサンフランシスコ在住の人間を起用した。また、タルボットはダニー・グローヴァーをキャスティングしたくて、脚本が完成する前から彼に手紙を書いていたが、返事は貰えていなかった。フィルモア地区で育ったグローヴァーは、ハンターズポイントにも住んでいたことがあり、タルボットとフェイルズはそれぞれ彼に電話をし、出演を嘆願して、5年をかけてグローヴァーを説得した。彼は自分の撮影予定のない時にもセットを訪ねては、故郷のサンフランシスコ人の気質を製作現場に吹き込んでくれた。

その家を見つけるまで

フェイルズが実際に育った家は何年も前に修復され、この映画には使えない間取りになっていた。スタッフは、サンフランシスコのあらゆる地区を調べ回り、さらには湾も渡り、完璧なヴィクトリアン・ハウスを探し歩いた。サンフランシスコは、ヴィクトリアン・ハウスだらけの街でありながら、物語に沿うような家、長い歳月に変わることない個性を持った家を探すのは困難を極めた。苦労の末、タルボットの家のすぐそばの固い岩盤の上にあり、一部が1906年の地震でも破壊を免れていた家を見つけた。「期待はせずに、僕らはそのドアを叩いた。すると優しい顔の老人が外に出てきて、僕らが彼の家を主役に映画を作りたいと話したら、手招きして中に入れてくれたんだ」とタルボットは述懐する。「中に入るとすぐに、神聖な感じがして、外の世界のことを完全に忘れてしまう。まるで違う時代にいるように感じるんだ、通りの音も聞こえない」。80代のこの家の所有者は、フェイルズの話にも劣らないほどのサンフランシスコの家にまつわる物語を披露してくれ、支援者の一人となった。彼はビート・ジェネレーションの時代から、60年この広大な家に住んでいた。魔女の帽子のような屋根も一つ一つ復元し、数十年かけて元の輝かしい家に戻したのだ。この家は、“らしさ”からすると、内装、外装、全てが完璧だった。映画のクルーに数週間住宅を占領させてくれた上に、地元でもよく知られた存在の彼の家を使用するに当たって、高額の支払いを予想していたプロデューサーに彼が請求したのは、わずかな手当だけだった。「彼は僕らの物語に強い親近感を感じたんだ。ジミーとジミーの過去に興味を抱いていたし、家に自身のライフワークを詰め込んでいた。彼は最後の偉大なサンフランシスコ人の一人であり、本当の英雄さ」

変わっていく街で描く大切なもの

本作で溢れんばかりに描かれている創造性は、困難な状況において前進するための頼みの綱である。ジミーが全身全霊で愛する街にしがみつくように、またモントが予期できない悲劇を乗り越えようと戯曲を書くように、私たちは創造した"物語”を支えにして生きている。「アーティストであるモントは、常に物語を構築している。壁に描く絵でも、戯曲でも詩でもスケッチだろうとね。彼は前に進むために混沌とした自己を秩序立てなければならない。ジミーは彼の家を再建しようとすることで同じことをしている。そしてジョーが、自分の故郷のサンフランシスコが失われていくのを見つめる5世代目であることが、この映画の構想が生まれた理由のひとつであり、この映画は混沌から生まれたんだよ」(メジャース)。フェイルズが実生活でそうであるように、この映画の中でジミーは、自分が唯一知っているこの街で生き残ろうともがく。だが、彼は“家”の持つ不思議な力の新しい定義を見出し、手放すことを学ぶ。それはもはや心の拠りどころでもなく、地図にあるどこかでもない。体験や、愛するものによって形成される心の在り方であり、自分たちの中にあるものなのだ。傷ついたり喜んだりして、ジミーがもつようになったその“家”は、彼自身以外の何ものでもないのだ。