REVIEWレビュー

今泉作品に通底する「好き」の気持ち

南波一海(音楽ライター)

劔樹人が大阪・阿倍野でハロヲタ(モーニング娘。擁するハロー!プロジェクトのオタク)仲間たちと過ごしていた時代を振り返るコミックエッセイが、映画『あの頃。』として、監督・今泉力哉、脚本・冨永昌敬で実写映画化された。
『あの頃。』は笑いどころ盛りだくさんのコメディ作品である。これまでの今泉力哉の作品は恋愛が軸になっているものがほとんどで、ひとつの物語のなかにいくつもの一方通行の片想いが描かれてきた。一口に恋愛映画と言っても様々な形があるが、片想いを実らせて恋を成就させることが目的となるものが王道のテンプレートと言っていいだろう。しかし、今泉作品の場合はそうではない。むしろ恋は実らないことがほとんどだ。では、片想いを通じてなにを描こうとしているのだろう?
それは、生きとし生けるものがどうしてなのか抱いてしまう「好き」という気持ちそのものではないか。恋人がいても別の誰かが好きになることがあるし、年齢差が大きく開いていて叶わない恋だとわかっていても好きになる。異性の配偶者がいて子供もいるが、かつて好きだった同性を再び好きになったりもする。ストーカーまがいになるほど人を好きになることもあるし、そんなストーカーを好きになる人もいる。それは時として愚かしく見えるし、他人からすれば動機がわからないことなのかもしれないが、「好き」は理屈や立場や倫理を飛び越えていくものなのだ。今泉作品では、そんな物語とキャラクターが幾度となく繰り返し描かれてきた。

その意味では『あの頃。』も、形は違えど、まったく同じ主題を持った作品だと言える。阿倍野に集う彼らハロヲタの面々は(当時「ハロプロあべの支部」と名乗っていた)、見返りを求めない一方通行のピュアな「好き」の気持ちをアイドルに狂おしいほど注ぐのである。物語の序盤で劔が見入った松浦亜弥の楽曲が、タイトルずばりの片想いソングである「♡桃色片想い♡」というのも象徴的だ。
同じく今泉が監督した『知らない、ふたり』で、ある事故をきっかけに人との交流を避けて生きてきたレオンが、誰かを好きになることで人生の意義を取り戻したということがあった。『あの頃。』の彼らはすでに「好き」を見つけている。だから、30歳過ぎても劇中で言うところの「中学10年生」のように日々くだらないことに明け暮れているけれど、彼らの人生はなんだか眩しく輝いて見えるのだ。
また、作中の恋愛要素は多くないなかで、コズミンが仲間のアールの恋人ナオの相談に乗るうちにナオといい感じになってしまい、そのことを巡りイベント中にサプライズで公開裁判にかけられるというくだりが出てくる。そのシーンは原作通りで、つまり実際に起こったことなのだが、それもまさしく今泉作品にドンピシャな、誰かの「好き」をどんな形であれ肯定してみせる出来事だと言えるだろう。
劇中、「僕たちは小学校、中学校、高校、大学と卒業するたびに出会いと別れを繰り返す。しかし大人になった今、もう卒業はない」というモノローグが出てくる。たしかにその通りで、大人になると強制的に出会いと別れを発動させるシステムはなくなってしまうので、彼らの青春の終わりの境界線はぼんやりと滲んでいる。しかし、なんとなく離れていった友人たちはあるタイミングでまた集うことになる。その経緯は本作で確認してほしいが、バンド「恋愛研究会。」が集まり、「恋ING」を原曲のキーで演奏して歌うシーンは涙せずにはいられない。近年、アイドルオタクは推しのアイドルを「尊い」と形容する。好きなアイドルの所作やライブの感想を「○○ちゃんは今日も尊かった」というふうに表現するのだが、真に尊いのはその言葉を発したその人の気持ちではないだろうか。『あの頃。』は、そんな尊さに溢れている。

劇中にはもちろん、ハロヲタが楽しめる要素もあちこちにちりばめられている。ラジオ「あなたがいるから、矢口真里」の実際の音声が使われていたり、モーニング娘。の石川梨華の卒業コンサートの映像が差し込まれたりするのもユニークだし、ハロプロのコンサートに行ったことがあるなら誰しもが目撃したことがあるであろう有名オタクをモデルにしたキャラがあちこちに登場するのも注目ポイント(彼らのことを知らずとも、特徴的なファンには目がいってしまうことだろう。彼らは実在するんです!)。なかでも松浦亜弥の握手会のシーンは印象的だ。劔の崇拝の対象である松浦を演じるの令和元年にメジャーしたハロプロのグループBEYOOOOONDSの山﨑夢羽。幼少期は寝る前に母親(かつてモーニング娘。のオーディションを受けた経験がある)から松浦の曲を聴かされていたという生粋のファンである山﨑が、巡り巡って『あの頃。』に本人役として登場するのは壮大なサーガを見る思いだ。
最後に役者陣について。これがおしなべて素晴らしく、本人以外にはできなさそうな濃厚な人物たちを誰もが見事に演じ切っている。物語を牽引するコズミンの、あのなんとも言えない憎たらしくも愛すべきキャラを演じた仲野太賀は鮮烈な印象を残す。そしてなんと言っても松坂桃李。主人公の劔樹人を松坂桃李が演じるというニュースが流れたとき、劔のことを少しでも知る人々の周辺では「あの松坂桃李があの劔さんを?」と話題になった。劔本人も半ば自虐的にネタにしたりもしていたが、見てびっくり。まるで本人にしか見えない!どこか自信がなさそうに丸まった、首から背中にかけてのライン。ボサボサした髪の毛。節目がちで穏やかで、不思議なコミカルさが滲み出る人柄。松坂は、素人目にも演じるのが難しそうな劔の特徴を芯から捉えている。赤い上着をまとい、自転車に乗ってリハスタからすごすごと帰る姿のそっくり具合には驚かされた。『あの頃。』は、冒頭から役者魂、スタイリングや演出含め映画人のすごみも感じさせてくれる作品である、ということを記しておきたい。