大阪
登壇者:田口トモロヲ監督
先日2月26日に大阪にて先行上映会を実施 。会場には田口トモロヲ監督 が登壇しました。
大きな拍手に迎えられ、「監督を務めました田口トモロヲです」 と挨拶すると、「あれ?今日峯田くんは?若葉くんは?どこかに隠れてるでしょ。吉岡さーん。宮藤くーん」 と呼びかけ、返事がないと知ると「本当に僕一人ですね。僕一人しか来なくて申し訳ありません(笑)」 と観客に謝罪して会場を沸かせた。
田口監督は「10年前ぐらいに原作を読んで、僕にとってはストライクな物語だったので、すぐに地引さんに電話した」そうで、「脚本は宮藤くんしか書けないと思ってお願いした」 と明かし、「当初は原作リスペクトのドキュメンタリータッチの脚本だった」そうで、「そこから何年も試行錯誤と改訂と迷走を繰り返しました」 と苦笑い。
ミュージシャンである峯田さんがミュージシャンではない役を演じていることにMCが触れると、田口監督は「犯人なんですよ」 とボケ、「峯田くんは僕の映画には全部出てもらっているけど、受けのお芝居をやったことがない。表現する役はたくさんやってるけど、相手の芝居や熱を受けるのを見たことがないので、まず僕が見たいと思った」 と明かしました。
またキャスト達には「過去のレジェンドの話なんですが、現代の人がやる意義を考えると、そっくりさんにしてほしくなかった」 と言い、「過去にいた実際の人たちのスピリットを演じてほしい」と伝えていたそうで、「たくさん資料をお渡しして学習してもらった」 そう。資料を身体に入れ込んだキャストたちの姿を初めて現場で見た時は「どんな解釈で演じてくれるのか楽しみだったし、初めて見られるのは役得だな」 と感じたそう。
また苦労したことについては「準備に時間がかかっていたので、比較的冷静な気持ちでインしたつもりだったのに、峯田くんと若葉くんがインタビューで『監督がめちゃくちゃピリピリしてた』と言っていて、バレてたな、と(笑)。スタッフさんもこの時代を知らないんです。お客さんのノリも今の時代と違う。そこは口酸っぱく言って、そういう意味ではピリピリしてしまって、苦労と言えば苦労」 だと言いながらも、「自分の好きな世界観を実現できる高揚感の方が強かった」 と振り返り、「この時代を知ってるから嘘はつきたくないし、妥協したくない」 と、当時を知っている監督ならではのこだわりを語りました。
タイトルにも入っている「自分の音を鳴らせ。」という本作のメッセージについて田口監督は、大切なのは自分が本当にやりたいことをやっているのかどうか。DIYの精神で自己表現していた東京ロッカーズの時代と、一人一人がSNSを持っていて、自由に発信できる今の時代について、近しいと語る。「僕が今の若者だったらYoutuberになってる。物理的にすごく恵まれてるけど、気持ちはこの頃の人達と一緒で、物質的なことだけが違うんだと思ってます。だからこそ、この映画は今の人達にも伝わるんじゃないかと思ってます」 と思いを明かし、「こんなに自由な時代があったんだ。自分は自分でいい。個人個人が違ってて、いいんだという考え方がこの時代にあったことが伝わると嬉しいです」 と本作に込めた思いを語りました。
最後に田口監督が「犯人は全員です。全員が共犯者の映画になってます。一人一人が自由でいいという犯罪を犯した人達の物語です。僕は好きな映画を発見した時に、明日を生きる糧やヒントにできることが嬉しいと感じています。この映画が皆さんにとってそんなヒントになると嬉しいです」 と観客にメッセージを送ると大きな拍手が起こり、舞台挨拶は終了しました。
名古屋
登壇者:田口トモロヲ監督、TAYLOWさん (the原爆オナニーズ)
続いて2月27日に名古屋でも上映会実施し、田口トモロヲ監督、名古屋パンクシーンの重鎮the原爆オナニーズ TAYLOWさんと劇中当時にまつわるレアなトークショーを行いました。
田口監督の「映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』ついに名古屋上陸でございます!名古屋といえば“the 原爆オナニーズ”。本日はTAYLOWさんに来ていただいて大変嬉しいです。」 という挨拶でイベントがスタート。着席と同時にとあるチラシを観客にみせる田口監督。「昔、僕は“ばちかぶり”というバンドをやっておりまして、そこで原爆オナニーズと共演させて頂いてます。みんなに自慢するために持ってきました(笑)」 と、監督自ら持参した当時のライブチラシであることを明かした。
TAYLOWさんからのアプローチにより交流が始まった2人。きっかけは「1985年の夏に原爆オナニーズがファーストアルバムを出す時に、渋谷のライブハウス 『屋根裏』でライブをやるから「東京のバンドを呼びたい」と思って」 “ばちかぶり”に声をかけたそう。 映画の感想を聞かれたTAYLOWさんは、「この映画を観て、自分の青春そのものだったので、涙が出そうになりました。映画で描かれている1978年、79年は、私もまるっきり(若葉さんが演じた)主人公と同じことをやっておりました。『東京ロッカーズ』との関わりも、東京へ遊びに行った時に『今度、京大西部講堂でライブをやる』と教えてもらったのが始まり。当時は人と会えばすぐに連絡先を交換して、直接繋がっていくのが当たり前の時代でした。」 と語る。田口監督は「東京ロッカーズ」について「憧れの存在でしたね。みんな年上で、強くて、中には怖い人も多かった(笑)。原作者の地引(雄一)さんはお優しい方でしたが、その背中を追いかけながら自分の活動を始めた感覚があります。」 と回顧する。
ここでMCから、劇中に登場するイベントにTAYLOWさんがスタッフとして参加されていた事実が披露されると、「そうなんです。THE STAR CLUBというバンドのスタッフをしていたので、劇中のシーンを見ていても 『あ、これ(当時の自分なら)この後ろに立っているな』という場面がいっぱいありました。」 と語ると、田口監督は「こんな平和な舞台挨拶の日を迎えられるなら、TAYLOWさんに映画に出てほしかったですよ!あの頃はみんな怒ってましたからね(笑)」 と本音を明かす場面も。
田口監督は「当時は、レコードを出すならメジャー契約が必須という価値観の時代。そこに『東京ロッカーズ』という、古い概念を壊して新しいシーンを作ろうとする人たちが現れた。彼らは崖っぷちに咲いた花のように孤高で、だからこそヒリヒリして格好良かったんです。今のようにファンが大勢いるわけではなく、客が15人、20人入れば『やった!』という世界。ギャラが1,000円を超えたらパンクスとしては大金持ちでした(笑)」 と思い出を語る。同じ時代を過ごしたTAYLOWさんが「映画の中で、登場して一番うれしかったのは、新宿ロフトです。『俺、このあたりにいた!』と思うシーンがいっぱいありました。」 と、劇中の再現度の高さを興奮気味に語ると、田口監督も「まさに歴史の目撃者ですね。当時の空気には、今にはない特有の緊迫感がありました。ステージに立つ側も『これをやらなければ死んでしまう』という切迫感があった。そこは嘘をつけない部分。当時のライブハウスはもう残っていないので、すべて美術でセットを組んだのですが、あまりの緻密さに中に入った瞬間、鳥肌が立ちました。」 と映画美術に自信をのぞかせる。
さらに、TAYLOWさんから「映画の冒頭に登場する渋谷「屋根裏」の当時の再現度はダントツでした。ロフトと屋根裏は、当時のバンドマンにとって憧れの聖地。そのシーンと再現度には、思わず『胸キュン』してしまいました。」 と告白。それを受けて田口監督は「あの原爆オナニーズのTAYLOWさんが『胸キュン』なんて言葉を使う時代になるとは!そこに、胸キュンしてしまいました。(笑)」 と大喜び。
最後に観客へのメッセージとして田口監督は、「いま日本ではロック・フェスが盛んに行われていて、何万人と集まってるわけじゃないですか。ビジネスとしても成功しているワケですけど、本当にその礎、『最初の一歩』を築いた人たちが全く知られていないことに愕然とした。今や当たり前となったフェスやインディーズという方法論はこの人たちから始まっている。これはもう作るしかないなって思いました。コロナなどあって、制作に11年かかりましたが、『こんなに凄い奴らがいたんだ!』という想いを、これでもくらえ!!と詰め込み発射しました。自由に受け取ってください。」 と、熱くコメント。
TAYLOWさんも「自分でレコードを作る、自分たちでイベントを組む。そんな『最初の一歩』を踏み出す尊さが、今は忘れられがちな気がします。監督がそれを映画にしてくれたことが本当に嬉しい。色々な『最初の一歩』や『始まり』が描かれているので、ぜひ楽しんでほしいですね。」 と語ると、「この映画とTAYLOWさんで全国を回りたいですね。そんな世の中になったら、『胸キュン』です」 という田口監督の締めで舞台挨拶は温かな空気に包まれながら終了しました。