Introduction
イントロダクション
荒井晴彦監督と
俳優 綾野 剛が織りなす
日本映画の真髄
主人公の矢添克二を演じるのは、荒井と『花腐し』(23)でもタッグを組んだ俳優 綾野 剛。着実にキャリアを重ね、名実ともに確固たる地位を築き上げてきた綾野が、これまでに見せたことのない枯れかけた男の色気を発露、過去のトラウマから、女を愛することを恐れながらも求めてしまう、心と体の矛盾に揺れる滑稽で切ないキャラクターを生み出した。
そして、矢添を取り巻く女たち――大学生の紀子を演じるのは、新星 咲耶。女性を拒む矢添の心に無邪気に足を踏み入れる。矢添のなじみの娼婦・千枝子を演じるのは、荒井作品3作目の出演となる田中麗奈。綾野演じる矢添との駆け引きは絶妙、女優としての新境地を切り開く。さらには、柄本佑、岬あかり、MINAMO、 宮下順子らが脇を固め、本作ならではの世界観を創り上げている。1969年という日本の激動期を背景に一人の男の私的な物語を映す、滋味深き日本映画に、温故知新を感じることだろう。名匠 荒井晴彦の脚本から導き出された俳優 綾野 剛の真骨頂、映画界に一石を投じる<R18>の異色作が誕生した。
Story
あらすじ
「あなたは軀と恋愛してるのよ」
妻に捨てられたこじらせ男の、
滑稽で切ない愛の行方。
⼩説家の矢添克二(綾野 剛)は、妻に逃げられて以来 10 年、独⾝のまま 40 代を迎えていた。偶然に再会した大学時代の同級生(柄本佑)から、彼の娘が 21 歳になると聞いて時の流れを実感する一方、離婚によって空いた心の⽳を埋めるように娼婦・千枝⼦(⽥中麗奈)と時折り軀を交え、妻に捨てられた傷を引きずりながらやり過ごす日々を送っていた。実は彼が恋愛に尻込みするのには、もう⼀つ理由があった。それは誰にも知られたくない⾃⾝の〝秘密〟に、コンプレックスを抱えていることだった。不惑を過ぎても葛藤する矢添は、⾃⾝が執筆する⼩説の主⼈公・A(綾野=二役)に⾃分を投影し、20 歳も年下の大学生・B子(岬あかり)との恋模様を綴ることで、「精神的な愛の可能性」を探求していた。妻に捨てられたこじらせ男の、
滑稽で切ない愛の行方。
そんなある⽇、矢添は画廊で⼤学⽣の瀬川紀⼦(咲耶)と運命的に出会う。車で紀子を送り届ける途中、彼⼥の〝粗相〟をきっかけに奇妙な情事へと⾄ったことで、⽮添の⽇常と心情にも変化が現れ始めた。無意識なのか確信的なのか……距離を詰めてきては心に入り込んでくる紀子の振る舞いを、矢添は恐れるようになる。
一方、久しぶりに会った千枝子から「若いサラリーマンと結婚する」と聞き、「最後に一緒に街へ出てみるか」と誘い、娼館の外で夜を過ごす。恋愛に対する憎悪と恐れとともに心の底では愛されたいという願望も抱く矢添は、再び一人の女と向き合うことができるのか……。
Cast
キャスト
綾野 剛
Go Ayano
矢添 克二
小説の中のA:結婚生活に失敗した小説家・自身が書く小説の主人公
咲耶
Sakuya
瀬川 紀子
矢添と画廊で出会う大学生
田中 麗奈
Rena Tanaka
千枝子
矢添のなじみの娼婦
柄本 佑
Tasuku Emoto
矢添の大学時代の同級生
宮下 順子
Junko Miyashita
娼館「乗馬倶楽部」の
女主人
女主人
岬 あかり
Akari Misaki
小説の中のB子・大学生
MINAMO
娼館「乗馬俱楽部」の女
Staff
スタッフ
脚本・監督:荒井 晴彦
Original
原作
吉行淳之介
Junnosuke Yoshiyuki
「星と月は天の穴」(講談社文芸文庫)
芸術選奨文部大臣賞受賞作
「星と月は天の穴」は、1966(昭和41)年に雑誌「群像」にて発表。主人公・矢添克二が小説家であること、メタフィクション的に作品内で恋愛小説が綴られること、吉行自身が抱えていたコンプレックスを矢添にも投影していることから、より私小説的な一編とも捉えられる。ただ、連載時は矢添の内面を掘り下げるアプローチに注力したため、単行本化する際に〝ブランコを漕ぐ女性の情景〟といった文学的な表現を加筆。恋に臆病な中年男性が次第に一人の大学生・紀子に心惹かれていくさまを、哀愁とユーモアを織り交ぜながら柔らかな筆致で書き上げ、人間味あふれる作品へと昇華させた。なお、夫婦で飲んだ帰り道にふと妻・文枝がつぶやいたひと言から本作の着想を得た、とも。芸術選奨文部大臣賞受賞作品。
吉行淳之介 プロフィール
1924(大正13)年、詩人・作家の吉行エイスケとNHK連続テレビ小説「あぐり」のモデルとなった美容師の母・あぐりとの間に岡山県で生まれ、2歳から東京・麹町で育つ。病気がちだった青年期に文学にのめりこみ、戦後まもなく同人誌「葦」に参加。男女が紡ぐ関係性を生々しく描き、性を通じて人間の本質に迫る作風によって、戦後に文壇に登場した作家陣の一翼を担った。1954(昭和29)年に「驟雨」で第31回芥川賞を受賞。代表作は「不意の出来事」(65・第12回新潮社文芸賞)、「暗室」(69・第6回谷崎潤一郎賞)、「鞄の中身」(75・第27回読売文学賞)、「夕暮れまで」(78・第31回野間文芸賞)など。軽妙な随筆(エッセイ)や多彩なゲストと織りなした対談集も人気を博した。1979(昭和54)年、日本芸術院賞を受賞。映像化作品は、『砂の上の植物群』(64・中平康監督)、『暗室』(83・浦山桐郎監督)がある。1994年7月26日70歳で逝去。
Comment
コメント
名作「Wの悲劇」で出会った荒井晴彦さんの脚本(セリフ)はリアルでずわっと心を揺さぶり官能的だった。
負けてなるものかと戦った日が懐かしい。
監督作品「星と月は天の穴」は原作を乗り越えてエロティックがいや増していて、
今は老いた私でさえ すっかり惚けてしまいしばらく動けなかった。
素晴らしかったです!
三田佳子(俳優)
脚本講座ではナレーションや文字で説明するのはできるだけ避けて映画的表現方法を探せというが、
この映画ではモノローグも原作の文章の文字も有効に生きていて、文学と映画の幸運な出会いに思えた。
現実と小説の中身も際どく融合して、主人公の気持ちの漂いを浮かび上がらせることに成功している。
1969年の設定も生きていて、色彩の実験精神とともに吉行文学から映画が一歩先に進めたのではないだろうか。
拍手を送ります。
根岸吉太郎(映画監督)
「天の穴」とは、たぶん私たちの心の奥のこと。
見終わって、静かに自分を見つめ直した。
スタジオジブリ
鈴木敏夫
鈴木敏夫
――ぼくにはコンプレックスがないと思っているだろうけど、あるんだよ。
吉行淳之介さんの小説は、映画化するのは簡単なように見えて、不可能に近い。
言葉と仕掛けが多重の意味を持っているので、下手をするとポルノ映画になってしまうからだ。
荒井晴彦監督は、子供が遊ぶための公園のブランコを、性に振りまわされる大人の舞台に使ったり、
印象的なパート・カラーにしたり、小説の文章を巧みに読ませたりして不可能を可能にした。
宮田昭宏(編集者)
"咲耶さん、田中麗奈さん——その表情と佇まいの繊細な演技に、思わず息をのむ。
ブランコの描写も映画的に秀逸で、前にも進まないのに激しく揺れるその瞬間に、観る者は生きる力を実感する。
そして、この映画は荒井晴彦監督の自画像と思う。
三島有紀子(映画監督)
運命の赤い糸によって誘われた男女は、
星と月の眩い天の穴とは対照的な疚しく暗い穴を希求し、
二色だけの世界がその艶かしい闇を一層際立たせてゆく。
男の朴訥とした口語と詩情を纏う文語の交錯──その沈黙と行間にこそ、性と色香が立ち篭めている。
児玉美月(映画批評家)
男は娘ほど年齢差のある女の前で本音を隠して悪ぶり、「星と月は天の穴」だと主張する。娘は男の意識下からこじらせたおじさんの自意識を引っ張り出してはいじる。その姿は滑稽で痛快だ。両者は惹かれあうが、色好みの道でもロマンチック・ラブ・イデオロギーでも不同意性交でもない。名もなき対幻想の形がそこにある。「小説執筆型のメタフィクション」の本格的な映像化がなんとも嬉しい。
土屋 忍
(武蔵野大学 文学部 教授)
(武蔵野大学 文学部 教授)
ある日、ラピュタ阿佐ヶ谷という劇場で観た『身も心も』という映画にノックアウトされてしまった。この映画をつくった人は、じぶんと同じく、とは言わないが、じぶんのあこがれているところの、「恋愛を人生のすべてと考えている」作家なのだと理解した。その日から、この荒井晴彦という監督の作品はこの先すべて追いかけようと決めた。
その荒井晴彦の新作が吉行淳之介の『星と月は天の穴』の映画化と知ったときは、口に含んでいたコーヒーを吹いてしまうほど驚いた。♪やってくれますね。去年亡くなった父親はこの作家の熱狂的な信者で、その本棚から拝借してつい最近読んだところ、なんだこれは、と絶句してしまった小説であり、「#お漏らし」「#粗相」そして「#総入れ歯」の話、とタグ付けして記憶の倉庫に納めたばかり。
映画は見てのお楽しみ、と言うしかない。どうして今回も綾野剛さんを主演に選んだのですか。なぜ、いま吉行淳之介なのですか。どうしていつも下田逸郎? と監督にたずねてみたい気もするけれど、それはまたいつか。あなたもまた【恋愛を人生のすべてと考えているロンリー・ハーツ・クラブ】のメンバーならば、いまはただシャンパン・グラスを目の高さまで上げ、監督に黙礼するはずだ。
小西康陽
久しぶりに荒井のデビュー映画といえる「遠雷」を見て改めて傑作だと思った。当時は、良い映画を作るうえでシナリオがいかに重要な要素であるかが、私自身にとってよくわかっていなかったのだ。映画は、ワンカット、ワンカットずつのリアリティの積み立てであり、だからそのカットのイメージを決める監督がその映画の語り部だと思っていた。監督がイメージを固める原点はシナリオにあるという単純なことが実感として理解されてなかったのである。助監督上がりのプロデューサーの欠陥かもしれない。
ところで荒井のこのシナリオは、実によくできている。ト書きと動きの表現のバランスがいい。シナリオは映画の設計図だから、スタッフや俳優にとってわかりやすくなければならない。よいシナリオは、まずその基本的なところができている。ベテラン荒井にとって失礼なことだが、良いシナリオは作者が伝えたいイデオロギーや、感じてほしいことをリアリティのあるシーンの中で分かりやすい設定とセリフで伝えるのが基本である。荒井の本質は、小津安二郎や木下恵介のような古き良き日本映画の伝統を継いでいる。願わくばもうすこし大人を素材にした家族ドラマを描いてもらいたい。そこではユーモアもあっていい。映画好きの映画を描けるのが荒井の本質だと思っているからだ。
岡田 裕
(映画プロデューサー)
(映画プロデューサー)
(順不同/敬称略)








