TBSラジオ「アフター6ジャンクション2」コラボ試写会開催
5月17日(金)、TBSラジオ「アフター6ジャンクション2」とのコラボレーション試写会を開催致しました。上映後には同番組のライムスター宇多丸さん、宇垣美里さん、映画評論家の森直人さんによるトークショーが行われ、映画の中に散りばめられた様々な描写の意図やこの作品の凄さについて語り合われた。
宇多丸さん、宇垣さん、森さんは3人とも、トークを通じて何度も強調したのが、本作が約80年前のホロコーストという恐るべき過去を描きつつ、決して“歴史映画”ではなく、徹底して「いま」を生きる「私たち」を描いているという点。
森さんは「歴史を描く映画は普通、時代色やその時代の質感を映像に出すものだけど、この映画は現代と全く同じクリアなデジタル映像でずっと通していて、あの時代との距離感を徹底して潰している。実際、美術や衣装(の違い)がなければ、いつの時代かわからない作品になっている。(上映前に)宇垣さんが『いまの自分と重なる』とおっしゃっていましたが、まさに“いま”の物語なんです」と語る。
邸宅内のシーンの撮影では、セットのあちこちにカメラが仕込まれ、複数の方向から同時に撮影するというやり方が用いられたが、宇多丸さんはドキュメンタリーのように“観察”する本作の視点について「徹底して突き放した視点で描かれていて、1回もカメラが人物に寄らないんですね。(登場人物たちの表情で感情を伝える)『オッペンハイマー』とは対照的。『オッペンハイマー』は歴史上の有名な人物の映画ですが、これは特別な人間の映画ではないんです」とほぼ同時代を舞台にした『オッペンハイマー』との違いにも言及する。
宇多丸さんの言う「特別な人間ではない」…すなわち、どこにでもいるかもしれない人間の代表が、アウシュビッツの所長のルドルフ・フェルディナント・ヘスの妻のヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)である。映画の中で、収容所の隣に建てられた庭付きの邸宅を美しく、住み心地の良い我が家にするべく腐心してきたヘートヴィヒが、夫から転勤の内定を告げられて、怒りを露わにし、夫に命令の撤回や単身赴任を迫るというやり取りが描かれる。
宇多丸さんは「しかめっ面で感じ悪い役がバツグンにうまい!」とヒュラーを絶賛し、森さんも「本当にお上手。妻の視点で描くことで、ホームドラマみたいになっている。『せっかく私が理想の家を手に入れたのに転勤? あなた一人で行ってよ』、『だって上司が言うんだからしょうがないだろ』という(笑)、昭和のホームドラマみたいで、典型的な中産階級の図だけど、それがただ“ナチス”というだけ。その恐ろしさが秀逸です。まさに彼女の関心領域が、(映画を観る)我々の関心領域でもある」と指摘。宇多丸さんも「彼女たちの姿は、1ミリたがわず僕ら。彼女たちを“断罪”するのではなく、『人間、どうしてそうなってしまうのか?』ということを描いている」とうなずく。
ミカ・レヴィによる音と音楽も、この映画の恐ろしさを伝える重要なピースとして機能している。映画の中では間接描写が徹底され、収容所内での虐殺が直接、描かれることはない。森さんは「ミカ・レヴィのサウンドデザインがすごい。銃声や悲鳴などの現実音を(普通のシーンの中に)混ぜていて、一見、うららかなピクニックの風景の後ろでずっと悲鳴や銃声が聴こえる」と観客の想像をかきたてる音響について言及する。
同様に、炉で何かを燃やすようなゴーっという低い音も映画を通じて聴こえてくるが、宇垣さんは「あの音が、最初は私たち(観客)だけに聴こえる音なのかと思ったくらい、登場人物たちが、あの音に全く反応しないんですね。でも途中から(ある登場人物の様子が)おかしくなったり、気づいていることが分かったりする」とまさに関心領域外のことに無反応な登場人物たちの様子を示す表現の恐ろしさに舌を巻く。
ジョナサン・グレイザー監督ら登場 オンラインQ&Aイベント開催
5月15日(水)、都内で本作の試写会を開催し、上映後にジョナサン・グレイザー監督、音楽を担当したミカ・レヴィ、プロデューサーのジェームズ・ウィルソンが出席してのZOOMによるオンラインでのQ&Aを実施致しました。監督らの本作への思いや作品に散りばめられた様々な意図が明かされました。
アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす一家の姿を描くという衝撃作だが、そもそも本作を制作しようと考えた動機について、グレイザー監督は「以前から、いつかホロコーストに関する作品を撮りたいという思いはありました。これまでもホロコーストを扱った作品は多数つくられてきましたが、それらの二番煎じにならないような“何か”を撮りたいと思っていて、この作品では加害者側の視点で見えるものを描ければと思いました。この作品で訴えたいことは『我々は何も学んでこなかったのか?』、『なぜ同じ過ちを繰り返すのか?』ということです。現代とは関係のない80年前を描いた歴史映画を見せるつもりは一切なく、いまの時代に訴えかける作品にすべくフレーミングした結果、こういう作品ができました」と語る。
映画は冒頭からしばらくの間、真っ暗な闇が映し出され、そこに悲鳴などの音が重なっていくが、音楽を担当したレヴィはこの印象的なオープニングの意図について「一般的な映画では、タイトルシークエンスでバンっと音を奏で、そこに風景が映し出されるのが古典的なやり方ですが、この作品では特有の意図があって、あのようなオープニングになっています。真っ暗闇が映し出されて、音を聞くというのは奇異な感じがしますが、この作品は目で見る映画ではなく、耳で聴く映画なので、繊細に音に対して耳をそばだててほしいという目的で冒頭、ひたすら音を聴かせているのです。観客の耳が音に慣れることで、サウンドデザインに耳をすますように設計されていて、そこで描かれる“暴力”を目で直接見ることができなくても、耳で感じることができるようにデザインしています」と語り、本作における“音”が伝える情報の重要性について力説する。
ある観客からは「ロングショットが使われたり、近い距離でも俳優の顔に影がかかっていたりして、役者の表情が見えない作り方をされていたように感じ、印象的でした」という感想が出たが、グレイザー監督は「意図的な演出です」とうなずき、その意図について「観客を役者の芝居や映画的な心理によって、(映画に)引き込むことをしたくなかったんです。壁にへばりつくハエのように、登場人物たちをひたすら観察するような作品にしたいと考えました。彼らの行動ややり取り、体の動かし方を見つめてもらうという意図で演出しており、(役者との)批評的な距離を保って撮影しました。何より私自身、監督として役者の“芝居”を見ているのではなく、実在する人物の姿をドキュメンタリー作家として撮っているような感覚でいたいと思っていました」と説明する。
撮影においては、セットに複数台の小型カメラを設置するという仕掛けを行なっているが、プロデューサーのウィルソンはこの試みについて、「あくまでもこの作品のテーマを描くための方策として用いられたものです。その狙いとは、観客に『いま、この家族がここで生きている』ということ、それを我々が間近で見ているんだという感覚を味わってほしいというものです。そして、その狙いは上手くいったのではないかと思います」と手応えを口にする。
グレイザー監督、ウィルソンプロデューサーの言葉にもあるように、本作はまさに現代を生きる人々の視点で80年前の歴史を目撃するような作りになっており、現代もなお続く戦争や紛争、対立への人々の無関心や不誠実な態度への強いメッセージを投げかける作品になっている。グレイザー監督は「我々は、世の中で起きている問題を黙認し、ある意味で共犯関係にあり、安全・安心な領域で過ごしたいがゆえに、本来は対峙すべき問題に対峙せずにいます。この作品では、そんな黙認がどこに行きつくかという極端な例を示したつもりです。この映画を観てくださったみなさんが、(劇中の)野心あふれるブルジョワの家庭の中に、自分自身の姿を見出すことができたなら、それが最終的にどこに行きつくのか、ご理解いただけると思います。頭で考えるのではなく、体でずっしりと重みを感じる作品にしたつもりです。毒入りのフルーツを口にしたような苦み――もう二度と口にしたくない苦みを感じてもらえる映画に仕上げているつもりです」と語り、最後にこれから本作に触れる日本の観客に向けて「我々は、黙認や共犯関係を拒絶する力を持っているということをお伝えしたいと思います」と訴えた。
特別映像「1分で分かる『関心領域』」をUP致しました
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