INTRODUCTION

イラク戦争が長期化する2005年・アメリカで、
“生きる”ために海兵隊へ志願した青年・フレンチ。
監督自身の体験を描き、世界で絶賛された心揺さぶる実話。
『ムーンライト』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ほか、革新的な作品を次々と送り出してきた映画会社A24。業界屈指の目利きたちが次に見出したのは、ある新鋭監督の実話だった。海兵隊在職中に映像記録担当としてキャリアを始めたエレガンス・ブラットン監督の長編デビューとなった本作。主演を務めたジェレミー・ポープがゴールデングローブ賞で主演男優賞(映画・ドラマ部門)にノミネートされたほか、世界各国で高く評価された。

STORY

ゲイであることで母に捨てられ、16歳から10年間ホームレス生活を送っていた青年・フレンチ(ジェレミー・ポープ)。どこにも居場所を許されず、自らの存在意義を追い求める彼は、生きるためのたったひとつの選択肢と信じて海兵隊への入隊を志願する。だが、訓練初日から教官の過酷なしごきに遭い、さらにゲイであることが周囲に知れ渡るや否や激しい差別にさらされてしまう……。理不尽な日々に幾度も心が折れそうになりながらもその都度自らを奮い立たせ、毅然と暴力と憎悪に立ち向かうフレンチ。僕が僕のままで在るために、自分の意志でここに居る――。孤立を恐れず、同時に決して他者を見限らない彼の信念は、徐々に周囲の意識を変えていく。

CAST

ジェレミー・ポープ
ガブリエル・ユニオン
ラウル・カスティーヨ
マコール・ロンバルディ
ボキーム・ウッドバイン
ジェレミー・ポープ
1992年生まれ。
Netflix「ハリウッド」(2020)でテレビ・デビューを果たし、エミー賞のリミテッド・シリーズ最優秀俳優賞にノミネートされ、アフリカン・アメリカン映画批評家協会賞のブレイクアウト演技賞を受賞した。2019年にはトニー賞に異なる2作品で2部門(最優秀主演男優賞/ミュージカル最優秀助演男優賞)にノミネートされるという、史上6人目の快挙を果たした。その他の出演作品に、『あの夜、マイアミで』(Netflix/2021)など。
2023年のメットガラでは、カール・ラガーフェルドが大きくプリントされたガウンを纏って登場し、話題となった。 『インスペクション ここで生きる』では、第80回ゴールデングローブ賞で主演男優賞(映画・ドラマ部門)にノミネートされたほか、世界各国で高い評価を受けている。
ガブリエル・ユニオン
1972年生まれ。
『シーズ・オール・ザット』(1999)で映画デビュー。その後、数々の映画やドラマに出演する。主な作品には、『バッドボーイズ2バッド』(2003)、『デイブは宇宙船』(2008)、『スリープレス・ナイト』(2017)、『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』(2022)などがある。
作家としての一面も持ち、夫である元NBAプレーヤーのドウェイン・ウェイドとともに、児童書「Shady Baby」を出版。更にユニオンの自叙伝「We’re Going To Need More Wine: Stories That Are Funny, Complicated, and True」と「You Got Anything Stronger?: Stories」は、どちらもニューヨーク・タイムズ紙の「ベストセラーリスト 」に選出されている。 また、2020年に彼女はヘアケア・ブランド「Flawless by Gabrielle Union」を立ち上げ、その翌年には夫と共に、有色人種の子供たちのユニークなスキンケア需要に特化した持続可能なベビーケア・ライン、「Proudly」を立ち上げるなど多岐に渡り活躍している。
ラウル・カスティーヨ
1977年生まれ。
ボストン大学芸術学部で演劇を学び、2007年に「Amexicano」で長編映画デビュー。この作品でバラエティ誌の「注目すべき10人のラテン系アメリカ人」に選ばれた。その後、数多くの作品に出演。HBOシリーズ「ルッキング」に2シーズンにわたって出演し、のちに映画化されたこの作品で、全米ラテン系インディペンデントプロデューサー協会(NALIP)のルーペ賞を受賞した。その他の出演作品に、『ナイトティース』(Netflix)、『アーミー・オブ・ザ・デッド』(ともに2021)などがある。
マコール・ロンバルディ
1991年生まれ。
第69回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したA24製作、アンドレア・アーノルド 監督の『アメリカン・ハニー』で本格的に俳優として活動を開始。主な出演作に、第70回カンヌ国際映画祭監督週間でプレミア上映された『パティ・ケイク$』(2018)などがある。
ボキーム・ウッドバイン
1973年生まれ。
1993年より俳優としてデビューして以降、第72回ゴールデングローブ賞を受賞したFX放送のシリーズ「FARGO/ファーゴ」など多くのテレビシリーズ・映画に出演。主な出演作に『ザ・ロック』(1996)、『Ray/レイ』(2004)、『デビル』(2010)、『トータル・リコール』(2012)、『オーヴァーロード』(2018)、『スペンサー・コンフィデンシャル』(2020)、『ゴーストバスターズ/アフターライフ』(2021)などがある。

DIRECTOR

エレガンス・ブラットン
1979年生まれ。
16歳でホームレス生活となり、そのまま10年過ごした後、米海兵隊に入隊。海兵隊在籍中に映像記録係として映画の制作を開始し、コロンビア大学の理学士(2014)とニューヨーク大学ティッシュ校大学院映画学科の修士(2019)の学位を取得。ヴァイスランド・テレビのシリーズ「My House」の企画、および製作総指揮としてテレビ・デビューを果たし、2019年GLAADメディア賞の最優秀ドキュメンタリー部門にノミネートされた。2021年、フィルム・インディペンデントのトゥルー・ザン・フィクション・スピリット・アワードを受賞。自身の半生を描いた『インスペクション ここで生きる』で長編映画デビューを果たし、トロント国際映画祭でプレミア上映され、世界各国の映画祭で絶賛された。

COMMENTARY

「The Inspectionの多重性」
藤本龍児
(帝京大学文学部 准教授 
社会哲学 宗教社会学)
予告編でブートキャンプ(新兵訓練施設)のシーンを見ていたわたしは、この映画を、てっきり戦争映画だと思って観はじめた。ところが、生死の交錯する派手な戦闘シーンはもちろん、戦争の是非を問う悲惨な戦場のシーンも出てこない。『インスペクション ここで生きる』は、戦争映画ではなく、あくまで軍隊を舞台にした映画だったのである。

もちろん本筋のテーマは、「黒人のクィア(同性愛者、性的マイノリティ)」としての主人公が抱くアイデンティティであり、「母と息子」の関係である。しかし、そうしたテーマを「軍隊」を中心にして展開するところにこの映画の主題がある。

 アメリカでは2017年、同様のテーマを描いた『ムーンライト』がアカデミー賞の作品賞に選ばれた。しかし日本では、性と人種が重なるような「複合的なアイデンティティ」の問題については、まだほとんど知られていない、と言えよう。そうした問題をThe Inspectionをとおして考えるためには、軍隊についての理解が欠かせないのである。

アメリカの軍隊は、性的マイノリティには特別な場所である。たとえば1万5千人ものトランスジェンダーの人びとが所属しており、最大の雇用先と言われる。他のマイノリティや貧困層と同様に、生きていくための選択肢が少ないから、という社会構造があるのである。

しかし、そうした不公平な背景がありながらも、軍隊は肯定的に捉えられる側面もある。一般社会では差別され、不要な存在とされていたマイノリティが、軍隊では、苦難をともにした仲間や、心の通じた上官に承認され、役割を与えられ、成長していく。軍隊は、社会から外れた者たちが、アイデンティティを確立できる場所でもあるのである。

もちろん軍隊にも差別はあるし、一般社会より非道い、とも言えよう。教官が浴びせる侮蔑語や処遇が訓練を逸脱することもあれば、新兵のあいだの差別意識も消えてはいない。人種差別の問題はあるていど改善されてきたかもしれないが、性的マイノリティへの対処は1990年代から始まったばかりである。この映画でも、1994年以来のDADTという対処規定がカギとなり、タイトルにもつながっている。

1992年の大統領選でビル・クリントンは、同性愛者の服務禁止規定を撤廃する、と公約した。しかし就任後には、軍の幹部や保守勢力から「軍事力の要である士気や規律、部隊の結束にリスクをもたらす」として反対されることになる。代わりに妥協策として連邦法に規定されたのが「DADT:Don’t Ask, Don’t Tell」であった。同性愛者かどうかを「訊くな、言うな」ということであり、公にしなければ容認する、という対処法である。これが、上官であっても守らなければならない、軍隊における「法(ローズ)」の一つとなった。2005年を舞台とした「The Inspection」では、これが肯定的に語られている。

ところが、2008年の大統領選では、バラク・オバマがDADTを撤廃する、と公約とした。DADTは、性的アイデンティティを自ら偽らせる圧力をもっているし、制定後、およそ1万4千人が除隊させられていたからである。オバマは、2011年にDADTを、2016年にはトランスジェンダーの禁止規定も撤廃した。逆に2017年には、トランプ大統領がトランスジェンダーの従軍を禁止する方針を打ち出したが、2021年にはバイデン大統領が改めて性的マイノリティの権利を保障した。

このようなDADTの位置づけからするとThe Inspectionは、すでに克服された軍における性差別の、歴史的一コマを描くものとして評価されるかもしれない。しかしそれは、この映画がもつ側面の一つにすぎない。DADTは、映画の終盤、食堂でのシーンでキーコンセプトとして実際に語られる。この映画でDADTがカギとなっているのは、それをいつ、誰が、誰に語ったのか、という点にあるである。

もう一つ、この映画のカギだと思われることがあった。チャプレンの説教で始まる場面の最後で、主人公が教官に問いかける言葉である。チャプレンとは、専属の聖職者のことであり、『地獄の黙示録』や『プライベートライアン』などにも出てくる。この制度は、議会や病院、学校、そして刑務所などにもあるが、もとは軍隊から始まった。アメリカでは独立戦争さなか、1775年に設けられ、第二次大戦時には1万2千人のチャプレンがいた。

チャプレンによる説教の途中、抜け出した仲間を主人公は追いかけていく。その後、教官にこう問いかける。「クリスチャンでないとどうなりますか?」「この新兵二名はクリスチャンではありません」と。この言葉をわたしは、映画の最後、主人公と母親の会話の場面で思い起こした。

主人公は、最後まで自分を受け入れられない母親を恨みはしない。決して関係を諦めないが、その理由をただ愛情と言うだけですまないだろう。黒人であり保守的クリスチャンであり刑務官でもある母親は、同性愛者の息子をもつことで葛藤し、苦しんでいた。母親もInspectionにさらされ、アイデンティティをめぐって戦っていた、と言えよう。主人公はそれを感じていたのではないだろうか。そんなふうに考えてわたしは、冒頭の「母と息子」のシーンに連れ戻されていた。

監督・脚本:エレガンス・ブラットン
出演:ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオン、ラウル・カスティーヨ、マコール・ロンバルディ、アーロン・ドミンゲス、ボキーム・ウッドバイン
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
2022年/アメリカ/カラー/シネマスコープ/5.1ch/95分/R15+/原題:THE INSPECTION
日本語字幕:松浦美奈
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