イントロダクション

長編監督3作目にして約3時間の自己最長映画を生み出したアリ・アスター。今回はオスカー俳優ホアキン・フェニックス主演のフロイト的でピカレスクな旅を描いたブラックコメディである。過去2作とは異なりホラー的な要素は薄いかもしれないが、主人公ボーがワイルドかつサイケデリックな旅路で直面する数々の出来事は恐怖(ホラー)でしかない。最愛の母親との再会も含めて。アリ・アスターのキャリア史上最も野心的な、壮大な悪夢の悲喜劇オデッセイ。シュールで不条理な地獄ロードを突き進むボーの姿にあなたはなにを見るか? それでは旅のお供に、恒例の徹底解析をお楽しみください。

小林真里(映画評論家/映画監督)

  • 4部構成

    本作は全4部で構成されており、最初の3つのセクションはボーがなにかに衝突し気絶して終わる。上映開始から40分、アパートから逃げ出した裸のボーは車に轢かれ気を失う(ファーストセクション終了)。目覚めると、そこはボーを車で轢いてしまったグレースと夫で外科医のロジャーの自宅だった。薬漬けの娘トニがペンキを飲んで自殺を図り激昂するグレースから逃げるためボーは森の奥に走るが、木に激突して気絶する(郊外セクション終了)。目覚めたボーは森の中で旅する演劇グループ「森の孤児たち」の女性に誘われ、彼らの公演を見に行く。するとロジャー夫妻が面倒を見ている退役軍人のジーヴスがマシンガンをぶっ放しながら姿を現しボーは走って逃げるが、足首に取り付けられていた追跡装置が火を吹き気を失う(森セクション終了)。意識を取り戻したボーはヒッチハイクで遂に母の家に到着する。

  • オープニング

    本編が始まる直前に、映画の配給会社と製作会社のロゴが登場するが、その中の一つ「mw」は、Mona Wassermann(モナ・ワッサーマン)、モナが所有する架空の会社「M.W.」のことである。つまりモナがボーだけではなく、この映画をも支配していることを示唆しているのだ。ちなみにボーが母親へのプレゼントの置物の裏にメッセージを書いている時にTVに映るのはM.W.社の男性用シャンプーのCMだが、他にも同社の名前は劇中に度々登場する。

  • ファーストセクション

    ボーが住む街のストリートは、まるでポスト・アポカリプティックな暴力に満ちた世界が広がっていて度肝を抜かれる。これは極度な偏執症のボーにしか見えていない「現実ではない世界」の視覚化と捉えるのが妥当だと思われる(ボーが処方される強力な架空の薬ジプノティクリルの副作用という可能性も)。この野蛮でスリリングなセクションは、アスターいわくジャック・タチ監督の『プレイタイム』(67)をイメージしたそうだが、それ以外だとチャーリー・カウフマン監督の『脳内ニューヨーク』(08)と、マーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』(85)も想起させる。後者はニューヨークのコーヒーショップで出会った女性と再会するためにソーホーにやってきた男がカフカ的なシュールな悪夢の連続に見舞われる、不条理な一夜を描いたブラックコメディだ。ちなみに映画トータルで見ると、アスターのお気に入りの一本であるコーエン兄弟の『シリアスマン』(09)を思い出さないわけにはいかない。ユダヤ人中年男性が不幸の連続に見舞われるこのコメディドラマで主演を務めたマイケル・スタールバーグは、ホアキン・フェニックスとルックスが激似ということでも有名。あとは1950年と87年に二度映画化されているテネシー・ウィリアムズの代表的な戯曲「ガラスの動物園」や、ジョン・ヒューズ監督の悪夢的なロードムービー『大災難P.T.A.』(87)、オムニバス映画『ニューヨーク・ストーリー』(89)でウディ・アレンが監督した一編「エディプス・コンプレックス」の影もうっすらと感じさせる。

  • ポラロイド写真

    一瞬しか映らないので分かりづらいが、「ファーストセクション」でボーがベッド脇の引き出しを開けてペンを取り出すときに見つけるのが一枚のポラロイド写真。これは、その後の回想シーン(ボーが車の中でトニにマリファナを吸わされて突如思い出す)で登場する、母親とのクルーズ船の旅で出会った初恋の相手、エレインだ。この写真のエレインの背景は水死体が浮かんだプールだが、水中から死体を捉えたショットはビリー・ワイルダー監督『サンセット大通り』(50)冒頭のプールに男の水死体が浮かぶシーンへのオマージュだと思われる。

  • チャンネル78

    「郊外セクション」の終盤で、グレースが意を決してボーに秘密を打ち明けようとするシーン。ロジャーに邪魔されながらも、彼女はなんとか「チャンネル78を見て」とボーに囁きリモコンを手渡す。ボーは言われた通りそのチャンネルを見ると、まさに今の自分の姿が映し出される。天井の照明にカメラが仕込まれていたのだ。さらに映像を巻き戻すと過去の自分が映し出され、早送りすると、なんと未来の自分の姿と様子が映し出される(ここはデヴィッド・リンチの作品を彷彿)。ボーがモナに監視されていること、ロジャーが彼女とグルであるヒントをここでさりげなく提示していたのだ。

  • すべての山に登れ

    演劇グループの女性に出会った森の中で、ボーは「あなたの夢が見つかるまで、すべての虹を追いかけて」と書かれたボードを目にする。これは映画『サウンド・オブ・ミュージック』(65)(と同名ミュージカル)の劇中歌「すべての山に登れ」(Climb Ev'ry Mountain)の歌詞の一部。ちなみに件の女性(妊婦)は緑色のドレスを着ており『オズの魔法使』(39)の西の悪い魔女を連想させる。

  • 「森セクション」のアニメーション

    観劇中にボーが迷い込むカラフルでファンタジックな世界のアニメーションを手掛けたのは、日本でも昨年話題になったチリのアニメ映画『オオカミの家』(18)の監督クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャ。アニメと実写を組み合わせたこのパートは、完全な別世界でボーが幸せな家庭を持っているというストーリーが軸だが、そこに現実世界の物語も絡み合ってくる。ボーがレンガ道(ブリックロード)を歩くこのアニメパートは『オズの魔法使』からインスピレーションを受けており、臆病なライオンの視点で描かれている、と考えることもできそうだ。

  • エンディング

    母親の豪邸に到着したボー。家の中に入ると終了したばかりの葬儀の様子を収めたテープが流れてくる(ここからすでに芝居がかっており演出の匂いがする)。家の中を歩きながらボーは『トゥルーマン・ショー』(98)のポスターのようなデザインの母の顔の絵を見つけ、そこに貼られた彼女の会社の従業員と思われる人物たちの写真の中に初恋の人エレインと、ロジャー、そしてアパートの外で追いかけてきた顔面にタトゥーが入った男の顔を発見する。その直後、エレインが登場(その前にボーが、ロジャーの娘トニのPCで母の訃報のニュースを見ていると一瞬エレインの顔と名前が映るので、この再会を予期していたかもしれない。このニュース映像はモナの会社の一つ「mwデジタル」を通じ配信されていたので、この映像もモナが仕込んだフェイクという可能性も)。2人はセックスをするが、母から心雑音を有しセックス中のオルガズムで死んだと聞かされていた父を思い出し、自分も遺伝で(ヘレディタリー!)死ぬのではと恐怖に襲われるボーだが、逆にエレインが騎乗位のまま死んでしまう。そして母親のモナが突然姿を現す。死んだのは実はメイドのマーサだったのだ。モナが、ボーは自分を十分に愛しておらず死んだと知ったら会いに来るだろうと思い仕掛けた壮大な芝居であり嘘だったのだ。そしてセラピストも姿を現し、みんなグルだったことと、自分の生活がすべて母親に見られていたことをボーは理解する(まさに『トゥルーマン・ショー』な展開)。そして夢で見たトラウマの屋根裏部屋に入れられたボーは、そこで鎖に繋がれた双子の兄弟を発見し、巨大ペニス怪獣(これはセックスで絶頂に達したことで死んだ父と、その父のショッキングな死因からボーがずっと恐れてきた自身の性的能力、という2つのメタファーなのかもしれない)と対面する。そこにジーヴスが窓から飛び込んでくるが、呆気なく怪獣に殺されてしまう。母親に憎悪の言葉を浴びせられたボーは一瞬我を忘れ、モナの首を絞めるが、ショックを受けた彼女は派手にガラスケースの中に崩れ落ちる。ショック状態のまま家を後にし、小型ボートに乗ったボーは、月が輝く夜の海を駆け抜け、洞窟の中の巨大アリーナにたどり着き、大観衆の前で母親冷遇の裁判を受ける(このラストのシーンはアルバート・ブルックス監督の『あなたの死後にご用心!』(91)を少し彷彿)。しきりに助けを求めるボーだが、苦しい状況から逃げられないことを悟り、運命を受け入れる。オペラチックな音楽が流れ、どす黒い煙が噴出し、ボートのモーターが爆発しボーは水の中に沈む(余談だが、徐々に壊れていくモーターは狂ったロボットが踊っているように見えて滑稽でこれまた素晴らしい演出だな、と感服した次第)。

  • マザーフッドと家族の悲劇

    マザーフッド(母性、母親の特性)はアリ・アスター映画の一貫したテーマである。『ヘレディタリー/継承』は死んだ母親(お婆さん)が実は悪魔崇拝カルトのメンバーで、娘と孫たちが地獄を見るというホラーだった。『ミッドサマー』は、病気の妹が両親を殺したトラウマに苦しむ学生が友人の誘いでスウェーデンの美しい村に行くと実はカルトのコミューンでした。というフォーク・ホラーで、直接的に母性をテーマに掲げていないが、ラストで主人公ダニは殺人カルト教団の母なる存在として君臨する。そして『ボーはおそれている』は、より痛烈に母性を考察した作品だ。リッチで有名なビジネスウーマンであるモナは、息子を心から愛し人生の教訓を教える立派な母親かと思いきや、常にボーの生活をスパイし、自分への愛情が不足していると疑い、ボーが飛行機に乗り遅れたことを理由に父の命日に予定通り会いに来なかったことで怒り心頭、自分の死を偽装(しかも37年仕えてきた家政婦を金で釣って犠牲に)してまでボーを会いに来させようとする。そもそもボーが神経症になり母親と距離ができてしまったのも、彼に子供の頃から数々のトラウマを植え付け、精神的に苦しめた母親のせいということだろう(ボーが子供の頃モナの誕生日に2年連続で『フォー・ザ・ボーイズ』のサントラCDをプレゼントしたというのは、この時点で既に彼の精神が破壊されていたことを意味しているのかもしれない)。ボーの初恋の相手エレインをモナが従業員という形で「所有」していたことを含めてボーへの裏切りであり、彼の人生を支配しようとしていた証左に他ならない。最後に裁かれるべきはモナのはずだが、審判を下されるのはボーだ。本作の母親は彼女の豪邸の庭にそびえ建つ巨大な母の像のように「神」のような絶対的な存在、ということか。そういえばボーは母へのプレゼントとして、全く同じ母親が子供を抱く(聖母子?)小さな白い磁器の置物を露店で購入し底にメッセージを書き記していたではないか(ボーのバスルームにはモナがボーと思われる赤ん坊を抱く同じイメージの写真も飾られていた)。

  • 本作では「水」がもう一つのテーマとして映画全編を流れる。冒頭、ボーは母親の胎内から羊水とともに世界に出てくる。ボーはセラピストの待合室で水槽を見ている。ボーはお風呂の中から双子の兄弟と母親の姿を見ている夢を何度も見る。ボーの新しい薬は必ず水と一緒に飲まないといけないが急に家中の水が出なくなり命懸けで水を買いに外に出る。お風呂に入っていると天井に男が張り付いていることに気づき、頭を這うイトドクグモに驚いて落ちてきた男と取っ組み合いになる。海を横断するクルーズ旅行に行く。クルーズ船のプールの中で男が死んでいる。大洪水に家族を奪われる夢を見る(アニメパート)。ボーの苗字はワッサーマンだが、これは「ウォーターマン」と訳すことができる。またモナが住む街の名前はワッサートン(Wasserton)である。オープニングもエンディングも「水」と「ボー」だ。

  • 天井裏

    ボーのトラウマである天井裏には大きな秘密が隠されていたことが最後に明らかになるが、アスターのデビュー作『ヘレディタリー/継承』でも同じく屋根裏部屋で恐ろしい出来事が起こる。『悪魔のいけにえ』(74)や『サイコ』(60)など往年のホラー映画では地下室に秘密が隠されていたものだが、アスターの映画に登場するスタイリッシュなデザインの瀟洒な邸宅では屋根裏部屋が使い勝手が良い、ということか。

  • 首なしの死体

    『ボーはおそれている』では頭部のない女性の死体(母親モナと思わせて実はメイドのマーサだった)を見ることができるが、『ヘレディタリー/継承』でも少女チャーリーの頭部が事故で切断され、祖母エレンの首なし死体も登場した。『ミッドサマー』では死の儀式で崖から飛び降りた2人の老人の顔面が粉砕された。今後もアスターは映画の中で頭部を破壊・切断し見る者にトラウマを与え続けるのだろうか?

  • 3つのタイトル

    当初、この映画のタイトルは『Disappointment Blvd.』(失望大通り)だったが、最初からこれが正式タイトルになる予定はなかった。2014年に本作の脚本がインターネット上に流出したとき、アスターは映画が完成する前にこれを読んで欲しくなかったため、意図的に異なるタイトルを発表したのだ。撮影中のタイトルも『Mona's Choice』(モナの選択)だったという。ちなみに、脚本の最初のドラフトは10年以上前に完成し、これがデビュー作になるとアスターは思っていたが、脚本を読んだプロデューサーに「良いとは思うけど、君は映画を作りたくないのか?」と言われたこともあり、実現できなかった。脚本はその後、2019年に約9か月かけてリライトしたという。

  • 映画館

    「ファーストセクション」でアパートから締め出されたボーが街角で途方に暮れるシーンで、一軒の小さな映画館(CINEMA)が映る。マーキー(看板)には上映作品『Kissing Franky』と『Like Father, Like Fun』のタイトルが見えるが、後者は「この父にして、この子あり(Like father, like son)」ということわざをもじっていると思われる。このことわざはロッド・ダニエル監督のファンタジーコメディ『ハモンド家の秘密』(87)の原題でもある。

  • ボー(Beau)

    今作の主人公の名前「ボー」(beau)は、フランス語が起源。男女共に使われるが、主に男性の名前として使用される。古いフランス語の「beu」から来ており、これは「ハンサム」という意味。またラテン語の「bellus」にも関連しており「美しい」という意味を持つ。

  • 短編映画『Beau』

    アスターが2011年に発表した7分の短編映画『Beau』が『ボーはおそれている』の出発点であり、ベースとなっている。同作は神経症の中年男性が母親に会うための旅に出ようとするが、部屋の鍵が何者かに盗まれるなど予期せぬ出来事に次々と見舞われる、という不条理コメディだ。

  • 次回作『Eddington』

    アスターの監督4作目のタイトルは『Eddington』(エディントン)と既に発表されている。COVIDパンデミック下のニューメキシコ州の架空の鉱山町を舞台にしたウェスタン・ノワールで主演はホアキン・フェニックス。過去3作と同じくA24が製作する。これまた一筋縄ではいかない西部劇が見られそうな予感がする。