公式X
 ニコール·キッドマン演じるロミーは、被虐欲求をひた隠して生きるCEO。その欲望を嗅ぎ取った若きインターン、サミュエルに、ロミーは翻弄されていく。
 こう書くとセンセーショナルな映画と捉えられるかもしれないが、本作品が描いているのは、この数十年で変化した先進国的な価値観の中で居場所を無くしつつある、人々の「乖離」の行く末だ。
 善き人でありたいと望むことと、破滅したいと望むこと。弱きものを守りたいという願いと、踏み躙られたいという願い。強くありたい欲望と、跪きたい欲望。人間の定義が緩かった時代には、このようなアンビバレンツなものがナチュラルに一個人の中に存在していたが、現代ではアンナチュラルなものと捉えられてしまう。そうした乖離を取り扱うのはこれまで専ら文学や映画の役割であったからこそ、本作に描かれている現代人を縛り上げる「NG」の意味は二重に重い。
 人は柔軟だ。これはダメ、これは差別、これは現代的規範ではNG。そう言われれば、しきたりとして受け入れ、順応することはできる。しかし乖離は他人にはもちろん、当人にも手出しできる範疇のものではない。閉じ込めれば暴れ出し、実生活を脅かしかねない。老若男女関係なく、この獰猛な欲望を心に飼っているいる人はいて、そういう人たちにとって自己同一性が求められる社会を生きることは、薄氷の上を歩くような危険を伴う。健全さを求める現代社会と己を突き動かす衝動の間で、引き裂かれんばかりになっている人は少なくないだろう。
 変態、マゾ、性的倒錯、世間ではこのように呼ばれることもあるかもしれないが、夫に苦悩を告白した際のロミーの言葉が、最も的確であったように思う。「魔物が私を呼んでいる」。ある種の人々の中にはコントロールできない魔物が潜んでいて、時々自分を呼びつけ、自分を傅かせるのだ。
 人間の生き方が狭まっていく二千二十年代に於いて、本作は今まさに必要とされていた映画とも言える。特に先進国に於いてどんどん画一化し、合理や生産性に捕われていく人間が、合理や生産と相反し突き抜けるその瞬間が撮られたことで、観客は皆多かれ少なかれ、自分は魔物とどのような関係を築くべきか、再考する機会を得るだろう。しかし私には、怒り猛る魔物を前になすすべもなく、再び地獄に落ちていく未来がロミーを待っている気がしてならない。
Profile
1983年、東京生まれ。小説家。2003年に「蛇にピアス」ですばる文学賞を受賞し、デビュー。翌年同作で芥川賞を受賞。2010年「TRIP TRAP」で織田作之助賞、2012年「マザーズ」でBunkamuraドゥマゴ文学賞、2020年「アタラクシア」で渡辺淳一文学賞、2021年「アンソーシャル ディスタンス」で谷崎潤一郎賞、2022年「ミーツ・ザ・ワールド」で柴田錬三郎賞を受賞。4月10日に最新刊「YABUNONAKA—ヤブノナカ—」を刊行。