COLUMN
※以下、本編に関する内容を含みます、ご注意下さい※
「混沌とするアメリカの、
トリガーを引く速度」
元吉 烈
映画『シビル・ウォーアメリカ最後の日』は、アレックス・ガーランド監督(『エクス・マキナ』、『MEN 同じ顔の男たち』)の長編4作目として今年4月に全米公開された。主に小中規模のヒット映画を数多く手掛けてきた製作会社A24の初のブロックバスターとしての話題性だけでなく、「内戦/市民戦争(=Civil War)」を原題にした物語が、11月5日に大統領選を控えるアメリカ人の不安や恐怖を大いに刺激したことで、公開2週に渡って全米1位を獲得するなど大ヒットした。
物語は、任期3期目のために憲法を改正したアメリカ大統領(ニック・オッファーマン)の横暴に対し、テキサス州とカリフォルニア州による同盟軍Western Forcesが独立を求めて武装蜂起。それに対して武力鎮圧を展開する大統領が「国民の皆さま、我々は歴史的勝利に近づいている。ゴッド・ブレス・アメリカ」と演説するシーンから始まる。
現実のアメリカ大統領任期は最大で2期8年だが、憲法改正をおこない2期目の後には3期目があると言った大統領として想起されるのは、今年11月に共和党候補として大統領選を戦うことになるドナルド・トランプだ。アメリカにおいて3期目の大統領は専制政治の象徴であり悪夢でしかない。しかし、本作は共和党支持の強いテキサス州と、その逆に民主党支持の強いカリフォルニア州が、現実にはあり得そうもない同盟軍を結成するという、悪夢の後に訪れうる小さな希望の世界を舞台にしている。
映画の冒頭、テレビに映される大統領の演説を見つめる主人公のリー(キルステン・ダンスト)は、最年少でマグナム会員になった著名な報道カメラマンで、映画の序盤、過去に赴いた戦地で目撃した非人道的な光景が何度も脳内にフラッシュバックされる。リーがフラッシュバックのたびに恐怖に震えるのは、その蛮行が悍ましいからだけではなく、彼女が目にした光景が母国アメリカで起きている/起きようとしていることを予感しているからだ。
この恐怖は多くのアメリカ人も共感しうるものだ。2021年1月には、大統領選の落選を不正選挙だとして認めないトランプが支持者を煽動したことで、ワシントンの連邦議会を襲撃する事件が起きた。このときのニュース映像はまさしく「内戦」のものだったし、これからアメリカでは内戦が起きる、あるいは既に内戦状態にあるのだという報道も数多くなされた。この当時の不安や動揺はアメリカ人の心に深く刻まれており、本作は大統領選が本格化する夏以降には、トランプが巻き起こしたあの狂騒が再来するという恐怖を覚えさせるのだ。
主人公のリーとライターのジョエル(ヴァグネル・モウラ)にリーのメンターだったサミー(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)、そしてリーに憧れる報道カメラマン志望のジェシー(ケイリー・スペイニー)を加えた一行は、大統領のインタビューを行うためにワシントンへ向かう。その道中、ある農場を通過する際に銃撃を受けて車から下りると、そこには迷彩服を着て狙撃態勢で寝そべりながら、遠方にある屋敷に銃口を向ける2人の男がいる。自分たちの車両にはPRESSと書いてあるにも関わらず、見境なく狙撃してくるのは誰なのかと尋ねるジョエルに対して、迷彩服の2人は意識を狙撃に集中させたまま「奴らに命を狙われ、俺たちも奴らを狙う」と答える。2人はその答えに戸惑うジョエルを気にする素振りも一切ない。
ジョエルが問う「誰が」「なぜ」という情報はここでは無用だ。主人公たちには偶発的に味方が現れただけで、屋敷にいる「敵」が誰なのかも、「味方」であるらしい2人の狙撃手が何者かも分からない。もしかしたら、目の前にいる2人こそがフェイクニュースやディス・インフォメーションの担い手かもしれないが、撃たなければ撃たれる世界では、そんなことはどうでもいいのだ。混沌が混沌のまま無造作に描かれ、現代社会の恐怖を体感できるこのシーンは、本作の優れた場面のひとつになっている。
『シビル・ウォーアメリカ最後の日』は予告編公開時から大きな注目を集めたが、不安を煽るタイトルに加えて話題となったのは、ジョエルが懇願するように言うセリフ「我々はアメリカ人です(We are American. OK?)」に返される、「どういうアメリカ人だ?(What kind of American are you?)」というセリフだった。ライフルを抱え、迷彩服と安っぽい赤いサングラスを身につけたジェシー・プレモンズ演じる男が発するこの一言が、いまのアメリカに広がる不安を的確に表現していたことで、このセリフは瞬く間に話題となった。しかも、今年のカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞したプレモンズが気怠そうに頬を搔くオフビートな演技が、この男が「アメリカ人に種類があること」を微塵も疑っていないことを思わせ、より一層、観客の不快感を募らせる。
アメリカでの劇場鑑賞時、プレモンズがトリガーを引くシーンでいくつもの叫び声と溜息が聞こえたのは、あまりに簡単に人の命を奪うこの男の残忍さへの拒絶だけでなく、これがフィクションだと笑っていられないアメリカの現実もあるからだろう。同じ肌の色をして、同じ言語を話す人間同士が政治信条の違いだけで殺し合いに発展していた近年のアメリカにおいて「同じアメリカ人」の定義は極めて曖昧で、プレモンズがトリガーを引く躊躇のなさと同じ速度で内戦が起こりうる。2021年以降しばらく忘れていたこの恐ろしい現実を、このシーンは思い出させるのだ。
『シビル・ウォーアメリカ最後の日』に描かれるアメリカがどういう経緯で、どのような状況にあるかの設定が抽象的で分かりづらいという批判に対してガーランドは以下のように答えている。
この映画は、あるファシストの大統領が3期目の大統領任期のために憲法改正をしたことに反対してアメリカ内で分離独立論が高まり、その鎮圧のために市民に対する攻撃を行う。(中略)映画内で起きていることはすべて具体的で分かりやすく、抽象が入り込む余地は一切ない。
ガーランドが言うように本作で描かれるものに抽象的な要素はほとんどない。もし本作が抽象的に見えるとすれば、現在のアメリカが曖昧で混沌としていて、その感覚をガーランドが的確に表現したからでしかない。そして、その上で、ガーランドの優れた演出力をもって、この曖昧と混沌の渦中にあるアメリカに生きることの恐怖や不安を、観客が追体験できるような形で描いたからこそ、本作はアメリカ人の心に深く突き刺さり、2024年を代表する1作となったのだ。