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INTRODUCTION
“生きる”ために海兵隊へ志願した青年・フレンチ。
監督自身の体験を描き、世界で絶賛された心揺さぶる実話。
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STORY
CAST
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DIRECTOR
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16歳でホームレス生活となり、そのまま10年過ごした後、米海兵隊に入隊。海兵隊在籍中に映像記録係として映画の制作を開始し、コロンビア大学の理学士(2014)とニューヨーク大学ティッシュ校大学院映画学科の修士(2019)の学位を取得。ヴァイスランド・テレビのシリーズ「My House」の企画、および製作総指揮としてテレビ・デビューを果たし、2019年GLAADメディア賞の最優秀ドキュメンタリー部門にノミネートされた。2021年、フィルム・インディペンデントのトゥルー・ザン・フィクション・スピリット・アワードを受賞。自身の半生を描いた『インスペクション ここで生きる』で長編映画デビューを果たし、トロント国際映画祭でプレミア上映され、世界各国の映画祭で絶賛された。
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COMMENTARY
(帝京大学文学部 准教授
社会哲学 宗教社会学)
もちろん本筋のテーマは、「黒人のクィア(同性愛者、性的マイノリティ)」としての主人公が抱くアイデンティティであり、「母と息子」の関係である。しかし、そうしたテーマを「軍隊」を中心にして展開するところにこの映画の主題がある。
アメリカでは2017年、同様のテーマを描いた『ムーンライト』がアカデミー賞の作品賞に選ばれた。しかし日本では、性と人種が重なるような「複合的なアイデンティティ」の問題については、まだほとんど知られていない、と言えよう。そうした問題をThe Inspectionをとおして考えるためには、軍隊についての理解が欠かせないのである。アメリカの軍隊は、性的マイノリティには特別な場所である。たとえば1万5千人ものトランスジェンダーの人びとが所属しており、最大の雇用先と言われる。他のマイノリティや貧困層と同様に、生きていくための選択肢が少ないから、という社会構造があるのである。
しかし、そうした不公平な背景がありながらも、軍隊は肯定的に捉えられる側面もある。一般社会では差別され、不要な存在とされていたマイノリティが、軍隊では、苦難をともにした仲間や、心の通じた上官に承認され、役割を与えられ、成長していく。軍隊は、社会から外れた者たちが、アイデンティティを確立できる場所でもあるのである。もちろん軍隊にも差別はあるし、一般社会より非道い、とも言えよう。教官が浴びせる侮蔑語や処遇が訓練を逸脱することもあれば、新兵のあいだの差別意識も消えてはいない。人種差別の問題はあるていど改善されてきたかもしれないが、性的マイノリティへの対処は1990年代から始まったばかりである。この映画でも、1994年以来のDADTという対処規定がカギとなり、タイトルにもつながっている。
1992年の大統領選でビル・クリントンは、同性愛者の服務禁止規定を撤廃する、と公約した。しかし就任後には、軍の幹部や保守勢力から「軍事力の要である士気や規律、部隊の結束にリスクをもたらす」として反対されることになる。代わりに妥協策として連邦法に規定されたのが「DADT:Don’t Ask, Don’t Tell」であった。同性愛者かどうかを「訊くな、言うな」ということであり、公にしなければ容認する、という対処法である。これが、上官であっても守らなければならない、軍隊における「法(ローズ)」の一つとなった。2005年を舞台とした「The Inspection」では、これが肯定的に語られている。ところが、2008年の大統領選では、バラク・オバマがDADTを撤廃する、と公約とした。DADTは、性的アイデンティティを自ら偽らせる圧力をもっているし、制定後、およそ1万4千人が除隊させられていたからである。オバマは、2011年にDADTを、2016年にはトランスジェンダーの禁止規定も撤廃した。逆に2017年には、トランプ大統領がトランスジェンダーの従軍を禁止する方針を打ち出したが、2021年にはバイデン大統領が改めて性的マイノリティの権利を保障した。
このようなDADTの位置づけからするとThe Inspectionは、すでに克服された軍における性差別の、歴史的一コマを描くものとして評価されるかもしれない。しかしそれは、この映画がもつ側面の一つにすぎない。DADTは、映画の終盤、食堂でのシーンでキーコンセプトとして実際に語られる。この映画でDADTがカギとなっているのは、それをいつ、誰が、誰に語ったのか、という点にあるである。もう一つ、この映画のカギだと思われることがあった。チャプレンの説教で始まる場面の最後で、主人公が教官に問いかける言葉である。チャプレンとは、専属の聖職者のことであり、『地獄の黙示録』や『プライベートライアン』などにも出てくる。この制度は、議会や病院、学校、そして刑務所などにもあるが、もとは軍隊から始まった。アメリカでは独立戦争さなか、1775年に設けられ、第二次大戦時には1万2千人のチャプレンがいた。
チャプレンによる説教の途中、抜け出した仲間を主人公は追いかけていく。その後、教官にこう問いかける。「クリスチャンでないとどうなりますか?」「この新兵二名はクリスチャンではありません」と。この言葉をわたしは、映画の最後、主人公と母親の会話の場面で思い起こした。主人公は、最後まで自分を受け入れられない母親を恨みはしない。決して関係を諦めないが、その理由をただ愛情と言うだけですまないだろう。黒人であり保守的クリスチャンであり刑務官でもある母親は、同性愛者の息子をもつことで葛藤し、苦しんでいた。母親もInspectionにさらされ、アイデンティティをめぐって戦っていた、と言えよう。主人公はそれを感じていたのではないだろうか。そんなふうに考えてわたしは、冒頭の「母と息子」のシーンに連れ戻されていた。
出演:ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオン、ラウル・カスティーヨ、マコール・ロンバルディ、アーロン・ドミンゲス、ボキーム・ウッドバイン
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
2022年/アメリカ/カラー/シネマスコープ/5.1ch/95分/R15+/原題:THE INSPECTION
日本語字幕:松浦美奈
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